深く潜る練習

佐藤公彦のblog

私の受験体験記 ~社会人海外大学院受験記vol.1~

6年間勤めた会社を辞め、9月から英国のUniversity of Bristol(ブリストル大学)修士課程に進学することになりました。専攻は教育学です。

準備期間中はあまり人に話さずにきたため、合格のこのタイミングを逃すと機会がないかもしれないと思い、大学院受験の過程を文章に起こすことにしました。

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2018年 ヨーロッパ旅行からの帰途空港にて

目次

0.自己紹介

2021年現在、28歳独身で社会人を6年ほどしていました。
東京でweb系上場ベンチャーに勤めていました。出身は富山県、大学は宮城県教育心理学を学び(学士)、就職で上京しました。

 

1.きっかけ期 2017年夏-2018年夏:煌めきのような「衝動」の持つパワフルさ

大学院という進路をうっすらと意識し始めたのは社会人3年目(24歳)の2017年、海外大学院を受験することを最終的に決めたのは翌2018年夏でした。

興味を持ち始めたきっかけは、果たして自分はこのままこの仕事を続けるのだろうかと悩んだときにたまたま目にした社会人大学院生の方のブログでした。*1
「そうか、社会人になった後でももう一度学びに行くという選択もあるのか」と気づき、芋づる式に読んでいった他の社会人大学院生の方のブログがどれもとても楽しそうで、大学院という選択肢への興味の下地が少しずつ耕されていきました。

2017年時点では興味の方向はてんで定まっていなかったものの、自分の心の内を確かめるようにして少しずつうっすらと情報収集をしていました。国内大学のオープンキャンパスに行ってみたり、社会人院生の先輩にお話をお伺いしたりし、いろいろなお話を聞く中で、自分の琴線に触れる領域とそうでない領域の輪郭がだんだんと感じられるようになっていきました。
また、プロフェッショナルな知識技能を持ち、それらを通じて社会に関わることへの憧れが少しずつ質量を持って固まっていく感覚を得ました。

とはいえ、この年には、大学院進学や、自分が経験したことのない世界としての海外渡航に興味が湧いてきているものの、本当にそれが自分が挑戦したいと思っていることなのかふんぎりがつかず、受験を決心するところまでは至りませんでした。

漠然とした関心が、自分も挑戦したい・挑戦しようという具体的な決心に変わったのは1年ほど経った2018年の夏でした。  

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2018年夏 ヨーロッパ旅行で大学を訪ねる

2018年には自分の決心に直接的な影響を与えた出来事が2つありました。
ひとつはMBA留学される先輩の仲間内の壮行会に参加させていただいたこと、
もう1つは、友人に誘われ2週間のヨーロッパ旅行に行き、現地でキャンパスを訪問したことです。

MBAに行く先輩の壮行会では、海外MBAを卒業された先達の方がゲストとしていらしていました。見知らぬブログの中の人ではなく、自分の知った人が留学に行くということの与える影響は大きく、歳の近い目の前の先輩の留学挑戦への想いを聞く中で、自分の中の素朴な憧れはより強くなり、自分の人生の「あり得る未来像」として大学院・留学のイメージが具体的になっていきました。

もう一つのきっかけであったキャンパス訪問は、友人に誘われたヨーロッパ旅行に合わせて訪ねました。*2実際に大学や街を歩くことで、そこで過ごす自分のイメージが湧き、またその状態にどうにも惹かれている自分に気づき、「自分もいつかここに行きたい、ここで暮らしたい」という気持ちが強くなっていきました。 

最後の決め手となったのは、旅行中、現地の大学院に進学した大学の先輩の家に泊めてもらったときの会話でした。モノの少ない殺風景な部屋で寝袋に入りながら交わしたやりとりは、非常に刺激的で面白く、自分の心の内を熱くしました。この時「そうか、自分はこの世界に行きたいのだ。これに挑戦しなければ死ぬ時きっと後悔するだろう」と確信するに至りました。

これが、自分の挑戦心のコップを溢れさせる最後の一滴となり、海外大学院を受験する決意が固まりました。

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2018年夏 ここへもう一度来てイギリス飯を食べるぞと心を決めた記念

 

2.英語格闘期 2018年秋-2019年夏:THE 受験協奏曲

ヨーロッパ旅行から戻った直後、もともと情報収集の中で当たりをつけていた社会人留学者向けの大手予備校を受講しはじめました。*3ここでは主に英語をひたすら勉強し、また並行して海外大学院受験のシステムについて具体的な情報を収集していきました。
私が進学先として検討していた英国・米国の大学院の場合、筆記試験ではなく、志望動機書と英語の試験(TOEFLまたはIELTSなど)、推薦状、GPA(学部時代の成績)、(加えて進学先・専攻によってはGMATやGREなどの共通学力試験。私の専攻では求められませんでした)による選考が行われます。
予備校では、多くの日本人受験生にとってとにかく英語試験の足切り基準を超えるのが大変であること、受験勉強の8割はTOEFL・IELTSの対策に時間が割かれことになるであろうことの説明を受け、実際に私は英語に圧倒的苦手意識があったため、英語試験TOEFLの勉強からスタートすることになりました。(もしかすると海外大学院出願で学科筆記試験が主となる大学もあるのかもしれないですが、少なくとも私の見ていた範囲ではそういった試験が課される大学院は目にしませんでした)
自分は英語が本当に苦手だったため、*4高校生向けの英語の参考書なども含め、とにかく手当たりしだいに英語学習に取り組みました。
週2で予備校のTOEFL対策講座を受けながら、通勤時間に単語帳を読み、毎朝出社前に2時間勉強する日々を過ごしました。

この頃の思い出としては
・勉強のため家の近くの喫茶店併設の結婚式場に毎週末入り浸っていたこと*5
・とにかく必死に勉強しなければと思っていたので職場のビルのエレベーターの中で単語帳を読む二宮金次郎状態だったこと(思えばこのあたりから肩に変な感じに力が入りすぎている、、、)
・勉強時間捻出のため会社から徒歩10分の家に引っ越したこと
・留学貯金を始めたこと
・良いと聞いた参考書を手当たりしだいに買っては、その分厚さの前に自然消滅していったこと
などを覚えています。

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当時の単語帳に書いていた目標。

3.緩慢絶望期 2019年秋-2020年夏:自分の「だめ」さと付き合う

予備校の1ヶ月単位の講義を9ヶ月ほど受講したころ、だんだんと自分の受験勉強が苦しい時期に入ってきだしました。
ここまでの間に予備校ではTOEFL対策クラスのおおよそ3分の2までの受講が完了していたのですが、明らかに受講時間以外の課題への取り組みが足らず、未消化な状態で次の講義を受ける状態が続いていました。
単語帳や自分の好きな教材でのListeningは多少取り組んでいたものの、クラスで出されるReadingの長文やWritingの英作文の課題において、どうしても手が伸びず、やらないと力のつかない課題をやらないために英語力が伸びないという、非常にしょーもない状態で時間だけがずるずると過ぎていきました。

受験勉強開始当初の目標としては
2018年秋-2020年春 TOEFL対策
2020年夏-2020年秋 志望動機書、推薦状対策(必要あればGRE対策)
2020年秋-2020年冬 出願完了
2021年春     合否確定
というスケジュールを理想としていたのですが、明らかに英語が伸び悩んでおり、いつまで経っても志望動機書や推薦状の対策に移ることができませんでした。*6

また、このころ会社でマネージャーに昇格し、並行して受けていた仕事関連の資格試験も続いたため、仕事においても大事な時期だから、と自分自身に言い訳し、やるべき勉強を先延ばしにする状態が慢性的に続いていました。

受験に対する情報収集が少しずつできてきていたことで、求められるレベル、目指すべきスケジュールのイメージは少しずつついてきたものの、それに反していつまでたっても英語の学習に対する苦手意識、回避意識が変わらない自分に非常にフラストレーションを感じ、とても悶々としていました。

この時期のことは未だにうまく消化できていないため、当時の日記から記載を抜粋します。

・最近の不安はゲロ吐き型
・「それ、ほんとに本気でやりきろうとしてる?」
・怖い。不安が大きい。「自分はこの状況を乗り越えるのだ、いつか笑い話にするのだ」と思おうとするがぱっとは思えぬ。怖い。
・怖いという気持ちに自分が支配されそうである
・必要以上に合格体験記を摂取すると「自分には無理だ」が訪れるのでここはもう盲信して猛進するしか無い。

この、やらなければならないことが見えてきたものの、やれない自分、億劫に思う自分との乖離と向き合わなければならない期間が非常にシンドかったのですが、同時に、自分の「だめ」さのようなものとの付き合い方を突きつけられた期間でもありました。この「だめさ」は自分の深い部分に膠着しており、無理に引き剥がそうとしたり打ち克とうとしても、今の自分では捨てることはできない部分であるように思われました。

もう何年か歳を取ればうまく付き合えるようになるのかもしれませんが、このときの自分一人ではどうにもできず、また、予備校の基本的なスタイルが、学習方法と課題のベストプラクティスを提示するので、課題消化は自分で頑張ろう、というスタイルであったため、孤独な中でできない自分と向き合わなければなりませんでした。*7*8

この頃の思い出としては
TOEFLを10回以上受けていたが全く目標のスコアに近づかなかったこと
・大学の後輩と週末勉強会を始めたこと(出願完了直前まで続いた。これがなかったらたぶん受験は自然消滅していたかもしれない。。。)
・留学について相談していた友人に居酒屋で「もうだめかもしれない、、、」と漏らしたら「いや、行かなきゃダメですよ!挑戦しないと、絶対後悔しますよ!」と力強く背中を押されたこと
などを覚えています。

 

4.再起挑戦期 2020年秋-2021年夏:研究という営みに触れ直す

予備校の英語対策講座を受講し終わったのは2019年の冬頃で、そこから2020年夏頃までなんとか独学で英語をリカバリーしようと頑張っていたのですが、理想と現実のGAPを埋めなければと考えれば考えるほど、勉強が手につかず、また足切りラインをいつまで経っても越えないため、次のステップ(志望動機書)にも移れない、という状態が続いていました。じわじわと出願期限までの残り時間が少なくなっていく中で、これはもう諦めるしか無いのだろうか、終わりはあっけなく、しょーもなかったなと、半ば自暴自棄な状態になっていました。

それでも、どうしても諦めきれず、人に相談したり、今からリカバーする方法はないだろうかと模索したりする中で、たまたま、まだ本格的に受験勉強を始める前に話を聞いた留学支援企業が大学院進学者向けのプログラムに提携していることを知りました。
そのプログラムは英国大学連盟が主催するもので、大学院の進学を希望する外国人に向けた1年間のpre-mastere program(準修士プログラム)でした。

内容的には修士課程の進学を目指す留学生が、アカデミックライティングや統計などの研究に関する基礎的な授業を受けながら、並行して英語学習を行っていくというもので、TOEFLのスコア突破や受験突破のための授業に比べて、修士課程の基礎部分を先取りしたような、学部3年生が取り組む研究基礎講義を発展させたような内容でした。
プログラムを通して研究に必要な基礎力を学び直しながら、同時に1年の最後に課される英語の試験と卒業論文で審査され、その最終成績がTOEFLやIELTSで求められるレベルと同等程度以上であれば、連盟に所属する大学の出願に、英語試験の代替として成績表を提出できるというシステムになっていました。*9

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pre-master programで英語でプレゼンしているところ。クソ緊張している。

このプログラムの入学審査で英語面接を受けたときには頭が真っ白になるほど緊張したのですが、曲がりなりにも予備校で1年間必死に英語の勉強をしたことでつくられた英会話回路が仕事をし、プログラムの受講生になることができました。プログラムの初回授業前夜も、自分がついていけるだろうかと本当に緊張し、(下手したら全受験期間で一番緊張し、)夜なかなか寝付けなかったことを覚えています。

ただ、このプログラムが、本当に幸運なことに自分に合っていて、結果として大学院進学の芽が再度見えだしました。

前述の予備校では講義ごとに1ヶ月スパンでクラスメイトが変わる個人戦という感じのスタイルだったのに対し、pre-master programでは15人ほどのクラスメイトと1年を通じて学ぶスタイルで、クラス一丸になって受験を突破するぞという雰囲気で学習に取り組むことができました。これが自分のモチベーション維持、学習ペース維持を強く支えてくれました。
また、私が受講した予備校の講義は英語試験対策中心であったのに対し、このプログラムはクラスでの英語のディスカッションや調査ワーク、英語文献のレビュー課題などによって構成されており、これが自分の関心、やりたかったことと非常にマッチしていたのが良かったです。
私の英国進学のきかっけとなったOxbridgeで博士号を取られた先生が担任となって1年間教えていただき、直前までの魔の独学1年間に比べて、一回一回の講義でとても楽しい時間、充実した時間を過ごすことができました。
単純な英語の地力や英語の試験の瞬発力では他の受験生の方に遠く及ばないものの、興味のある対象をテーマに、事前に準備しながら議論・調査・発表する過程は非常に私の性に合っていました。
この研究活動を通して英語力を評価してもらうというシステムが自分にあっていて、最終的に必要な英語の基準を超えることができました。また、プログラムでの英語の卒業論文執筆を通して自分が修士課程でやりたいと思っていた領域が非常に具体的になり、志望動機書を書く際にも自分はこれを大学院で研究したいのだ、と納得感を持って書けるようになってきていました。

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勉強机。壁にはTOEFLのスコアと漫画のコマ等を貼っていた

この頃の思い出としては
・深夜のオフィスで一人残業していた誕生日、日付が変わる頃に大学のゼミの先生から推薦状が届き「なんて粋な誕生日プレゼント...!」と思ったこと
・卒論を書き進める中で何度も自分の研究テーマを設定し直す経験をし、苦しみながらも7年ぶりに研究という営みの楽しさを思い出せたこと
・夜中に24時間営業のコインランドリーに通って卒論を書いたこと。同じような境遇と思われる大学生(高校生?)が何人か居て、独特の空間だったこと
・卒論発表前日ギリギリまでスライドを手直しして、プレゼン発表を終えると形容し難い疲れと満足感があったこと
などを覚えています。

 

5.終わりに:自分にとって最も大きなターニングポイントだったところ

こうして、7月に最終の卒論発表をし8月に成績が出、無事志望していたUniversity of Bristolの合格ラインを越えて私の受験が終わりました。
本当に泥臭く、ダサい足踏みを何度もしながらたどり着いた合格でした。
頑張った!自分!

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格通知。

この4年間で大変だったこといくつものシンドイ経験がありました。
受験を終えた今、その中でも特に苦しんだのは「先が見えない状態で海外大学院挑戦を決心すること」だったなと思います。先の見えない状態で挑戦を決めることは、私にとって暗闇の中で崖から飛び降りるようなものでした。

留学に漠然と惹かれる気持ちはあったものの、なぜ惹かれるのか自分でもよく分からず、どのような困難が待ち受けているかは想像もできず、その道を選んだ後の合理的なキャリアも見えているわけではありませんでした。
調べても調べても恐ろしさと憧れの振り子が大きく交互に揺れるばかりで、気持ちがピタッと定まることはありませんでした。
この気持は果たして本心なのだろうか、もっとリスクが小さい方法もあるんじゃないか、むしろ今の場所で頑張ることこそが正解なんじゃないだろうか。考えても考えても結論はでませんでした。

初期衝動だけはあるものの、初期衝動だけしかない自分にとって、この想いは果たして身を任せるに足るものなのだろうかという悩みが私にとっての最大の壁でした。
しかし、結果的に、この衝動に従う決心をしたことが、私の人生の分岐点となりました。

自分にはたしかな論理性がなく、衝動しかないんじゃないかと迷っていた時、背中を押してくれたのは大学時代の友人の言葉でした。
「初期衝動でも良いんじゃない?たしかにこれが未来の自分にとって正しい選択かどうかは分からないけど、今自分がどうしようもなくこの気持ちに突き動かされているということは事実なんだから。」
「最近、『ロックンロールは鳴り止まないっ』って曲をよく聴いていて、この人たちは他のことは何一つ分かってないかもしれないんだけど、初期衝動の大切みたいなものはほんとによく分かってると思う。よく分かってると思うんだよね」
この言葉が自分の衝動を信じてみようという気持ちを後押ししてくれました。*10ビビって正しい道かどうか見極めることばかり考えていたけれど、間違っていてもいい。失敗してもいい。それくらい、わくわくしてしまった。だからそれに挑戦してみようと思いました。

「諦めようにも諦められぬ。諦めきれぬと諦めた。」

何度も迷ったし、何度も自然消滅しかけましたが、あのとき自分の心の声を信じて良かったと思っています。

ここからがスタート。大学院、楽しんできます!!

 

The theme music of this post:ロックンロールは鳴り止まないっ by 神聖かまってちゃん 

*1:なぜ社会人博士に行こうと思ったのか - yumulog社会人学生で博士課程に進学するということ - yumulog北陸先端科学技術大学院大学を単位取得満期退学しました(退学後2年以内に博士号取得予定) - yumulog社会人学生として博士号を修得したのでメモ - StatsBeginner: 初学者の統計学習ノートなんで、私が藝大に!? | 【日刊 ノボちゃん】など他多数

*2:当時の様子→リンツに恋して - 深く潜る練習

*3:特にMBA留学支援で有名なAGOSさんです

*4:大学卒業時点でTOEIC530点(TOEIC受験者平均は2021年7月のテストで607点)

*5:茶店で勉強するというこの習慣は自分にとても合っていて、受験の最終盤まで基本的にはこのスタイルでした。お世話になった喫茶店のstaffの皆様、本当にありがとうございました。

*6:今考えると、必ずしも自暴自棄にならなければならないスケジュール感でもなかったかもしれないとも思うのですが、目の前のやるべき課題に真面目に取り組めていないという負い目と、何度受けても全く変わらないテストスコアに追い詰められ、視野が狭くなっていたかもしれないと思います

*7:AGOSさんの名誉のために書くと、これは自分が環境を活用できないのが悪かったのであって、AGOSさんが全くサポートしてくれなかったわけではありません。しかし、予備校型の塾で学ぶ場合は、結局自分で時間をとって演習を進める必要があり、そこが私にとってどうしてもボトルネックでした

*8:後日、この「だめさ」と戦おうとするから負のスパイラルから抜け出せないのであって、これはもう、「だめさ」を受け入れるしか無い、だめさと付き合っていくしか無いのだと思えるようになったことで、自分の価値観が変化していったのですが、当時はどうしてもこの「だめさ」とうまく折り合いがつけられず、ジリジリと時間が削られていくことに焦ることしかできませんでした

*9:このシステムは英国の、連盟に所属しているいくつかの大学特有のもので、決してメジャーな受験方法ではないため、これから進学を考えられる場合はあまり参考にならない可能性が高いです。真っ向から海外大学院受験をする場合はTOEFLかIELTSときちんと向き合わなければなりません。。。私のケースでは、ある程度大学院進学の情報が集められていたこと、行きたかった大学がこのプログラムでも出願できそうだったことなどのラッキーが重なり、結果的にプログラム受講が最良の選択になりました

*10:今後留学を検討される方に向けて付言すると、合格後に書いたこの体験記は、どうしても生存者バイアスを多分に含んだものになってしまっていると思います。初期衝動が自分の身を任せるに足るものかどうかを吟味するプロセスは、とても大切なプロセスだということを付け加えておきます。私にとっても、気持ちを吟味し確認する過程が自分の価値観や将来と深く向き合う時間になりました。また、海外大学院に挑戦しようと決めてからも要所要所で失敗した場合の傷が最小限になるようには心がけ、ブレーキはかけずとも保険はかけながら進めていました。このあたりのテクニカルな受験情報についてはvol.4で書きます