深く潜る練習

佐藤公彦のblog

「都会と田舎と三塁生まれ」 ~社会人海外大学院受験記vol.2~

留学受験体験記のvol.2です。
私は大学院で教育社会学を学んでおり、関心の一つは「生まれによる格差」にあります。

タイトルの『三塁生まれ』とは、かつて米国大統領選挙で用いられたフレーズで「裕福な家庭に生まれたが、その有利さを自覚せず、自分の努力によってその地位や成功を得たと考える者」を指します。

格差には様々な形があると思いますが、私がなんて無垢で残酷なのだろうと思うのは「やりたいのにやれない」という選択肢の欠乏や葛藤などといった問題に自覚的な状態より、そのさらに手前の「やりたいとすら思えない、思わない」という状態、「無自覚な当たり前の差」です。

ある者は大学進学や上京を当然のことと思い、またある者はそういった世界を想像すらしない。留学が人生の選択肢の一つになる者と、外国人など見たことも無い者。
様々な形の「当たり前」の差が人や地域の間に横たわっているのではないかという考えが、私の心の奥深くで引っかかっています。

私が留学受験について書きたいと思ったのは、富山県の田舎で生まれ育ち、留学など想像もしなかった昔の私のような学生に、こういう世界もあるのだと知ってほしいと思ったためです。

この記事では、私が生まれと格差に関心を持ち、目を向けざるを得なくなり、海外で学ぶほどに心囚われた過程と、そしてまだまだ入り口ではありますが、私が教育社会学領域で学ぶ中で得た知見や知識について書きます。*1

 

 

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1. 私と田舎と大学と

私は18歳まで富山県で育ちました。

私の生まれ育った地域は人口7,000人ほどの小さな町で、高校を出るまで外国人の人を身の回りで見たことが一切ありませんでした。*2
大人になってからこそ、東京で暮らし、コンビニや街中で日常的に外国人の方を見かける生活になりましたが、私の子供時代には私の人生に外国・外国人の方が一切登場せず、海外や外国人というのは、小説や本に出てくるような「想像上の世界」と変わりませんでした。*3*4

18歳で仙台の大学に進学した時、月並みながら、私はいっきに世界が広がったように感じました。

外国に初めて触れたのもこの頃で、初めて身近な存在として同年代の外国人留学生とキャンパスですれ違い、また、同級生の中には高校までに海外旅行を経験した人もいて、当時の私にとって、自分ごととして考えたこともなかった海外の端にはじめて触れたように思いました。
当時の私は、外国に行くということに対して、たとえそれが旅行であっても「選ばれた特別な人の、特別な体験」というイメージを持っていて、漠然とお金持ちや帰国子女のような人が行くものなのだろうと思っていました。しかし、知り合った身近な海外経験者は、皆私と大して変わらないふつうの学生で、私の持っていた海外に対するイメージは、私がそれまで身近に海外経験のある人を知らなかったことからくる根拠のない思い込みだったかもしれないなと思うようになっていきました。

2. 清水の舞台かハードルか

私は広がった世界と大学生活を大いに満喫しました。大学の授業よりもどちらかというとボランティアや課外活動に精を出すようになり、イベント事や学外のコミュニティなどにもちょくちょく顔を出すようになりました。
そこで知り合った友人の中には今まで私が経験したことがないような経験を持っている人もいて、その人たちに惹かれ、だんだんとインターンシップや長距離旅行など、私にとって"少し怖い"と感じる取り組みにも挑戦するようになっていきました。

その最たる例が、人生で初めての海外渡航となるアメリカへの語学留学でした。中学の頃からずっと英語に苦手意識があった中、それこそ本当に、清水の舞台から飛び降りるような勇気を振り絞って飛び込んだことを覚えています。

こうして様々な「挑戦」を経験しながら自分の世界が少しずつ拡がっていったわけですが、時折、私がものすごくビビって、おっかなびっくり清水の舞台から飛び降りるようにして臨んでいる活動に、ごく「自然」に足を向けているような人たちがいることにも気づくようになりました。

それは例えば、初海外の飛行機の中、キャビンアテンダントさんの案内を聞き漏らすのではないかと一挙手一投足にドギマギしている私の隣でいびきをかいて寝ている友人であったり、東京の見知らぬ街で開催されるビジネスコンテストに、行くべきか行かざるべきか3ヶ月近く迷っている私の横で、ふらっと一週間前になってエントリーする知り合いであったりしました。

隣で見ていて、私にとっての一世一代の決心、勇気を振り絞ってようやく届こうかとしている"挑戦"は、彼らにとって順に越えていくハードル走のハードルの一つ、足を少し伸ばして、自然に越える"選択肢"の一つであるかのように見えました。

取り組みの規模が大きくなってもそのように見える場面はあり、それが起業であったり何かのコンテストへの応募であったり、私からすると決めることにものすごく勇気のいることを、あまりにも自然に決めているように見えました。私は、なぜ私がこれほどまでに勇気を振り絞ってなんとか挑戦している留学やもろもろを、彼らは実に自然に選択し、そして楽しんでいるように見えるのか不思議でなりませんでした。*5*6

大学3年生から就職活動で東京に出るようになると、そのように思える人はさらに多く目にするようになりました。
私が唾を飲み込み崖を飛び越えるようにジャンプして、ようやくつま先が届く「あちら側」に、彼らは最初から立っているのではないかとさえ思いました。

しかし、そんな思いを抱えながらも、二度三度、四度、五度と海外経験を重ねるうちに、外国がだんだんと自分の中でそこまで遠くはないもの、少なくとも清水の舞台とまではいかないものになっていきました。

そうして徐々に、当初海外を清水の舞台から飛び降りるように捉えていた私の価値観は、それを一つの選択肢のように捉える彼らの価値観に近くなっていきました。

3. 都会と田舎と三塁生まれ①

海外の語学留学でできた知り合いはまた、予想していなかった影響ももたらしました。彼らの新たな挑戦について聞いたり、SNSでみたりすることで、海外渡航以外のほかの挑戦に対するハードルも次第に下がっていったのです。

「誰それはなんとかという企業のインターンシップに参加したらしい」「あいつは今度なんとかというコンテストに応募するらしい」「なんとかというイベントに、あの人は登壇者として出るようだ」。

そうして、挑戦のたびに少しずつ増えていった知り合いたちがだんだんと自分の中に参照基準となっていき、その人達に引っ張られるようにして自分のなかの当たり前の基準が少しずつ更新されていきました。彼らのコミュニティは刺激的で面白く、自分がその一員であることを誇らしく感じるようになっていました。*7

私は少しずつ「あちら側」と思っていた人たちの側に近づいているように思われました。

しかし、同時に、自分にとってある挑戦が「当たり前」になると、その選択を取らない人や取れない人を、やればいいのになぜやらないのだろう、と不思議に思う目線が存在することも感じるようになりました。

4. 都会と田舎と三塁生まれ②

大学を卒業し、私は東京で就職しました。
東京は仙台以上に都会を感じ、忙しくも充実した日々を過ごしていました。イベントやセミナーなども豊富で、学生時代以上に都会の機会の多さの恩恵を受けていました。

しかし、東京で暮らす中で、稀に「恵まれた特権性の無自覚な残酷さ」のようなものを感じることもありました。

私にとって象徴的だった出来事があります。
私の勤めていた会社では毎年夏に新卒が幹事をする社内BBQがありました。仕事のいろはを学びながら先輩社員のことを知り親睦を深めようというよくある行事です。
東大卒のある後輩も、BBQの幹事を務め持ち前の段取り力でとてもスムーズに準備を進めてくれました。
会社の企画ということで自己紹介のコンテンツがあり、後輩が作ってくれた自己紹介シートが配られたのですが、その中に「出身地」や「好きな食べ物」と並んで「大学時代の専攻」という項目がありました。
都内の中高一貫校出身で東大を出て会社に入った彼は知らなかったかもしれないのですが、当時うちの会社には高卒の中途社員がいました。別になにか文句が出たわけでも不穏な空気になったわけでも全くないのですが、そのときは私は「あぁ、彼には"高校を出て就職した人"は見えていないのかもしれないな」と思いました。
深い考えがあったのかもしれないし、事前に確認したのかもしれない。そもそも目くじらを立てるほどのことでもないのかもしれないのですが、私は彼がシートに何気なく書いた「大学時代の専攻」という言葉に、彼の無意識の当たり前が表れたように感じたのをよく覚えています。
私は小学校中学校で一番遊んでいた幼馴染がいます。彼は中学を卒業した後、高校に入学したものの、学校と合わずに中退し、別の学校への再入学を試みました。しかし、中退後に受けた試験は残念ながら突破できずそのままフリーターになりました。
私は、自己紹介シートをつくってくれた彼から、私の幼馴染は見えているだろうかと、なんとも言えない気持ちになりました。別に彼にとりたてて差別意識があったわけでも、無知だったわけでもありません。人当たりもよく、人間もできていて、多くの人に好かれる後輩でした。ただ、彼の「当たり前」の中におそらく私の幼馴染ははいっていないように見えました。

この事自体は別に特別な出来事ではなく、世の中を見ればどこにでもあるありふれたエピソードなのかもしれません。しかし、私はどうしてもこのことが頭から離れませんでした。

当時の私は、どうしてもこれが個人の努力だけによる差ではなく、東京で暮らし、中高一貫校に入れるだけの財力のある家庭に生まれたことによる差のように思えてなりませんでした。
この悶々とした気持ちは、前述したような人生の選択肢に対する「当たり前の感覚の差」と結びつき、しばらく自分の中でくすぶり続けました。機会のない田舎出身者である私と機会に恵まれた都会出身者、というふうに意識することもしばしばあり、都会を呪う怨嗟のような気持ちに共鳴することさえありました。 

例えば私は、以下のような文章を読んだ時どうしても他人事と思うことができませんでした。

「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

 地方から京都大学へ。その時まで、僕は「教育の地域間格差」の本当の根深さを知らなかったのだ | ハフポスト

しばしばこの無自覚な「当たり前」意識の差にいらつくことがあり、まれに「強者の無自覚な傲り」のようなものを呪うように思う自分がいることに気づきました。
特権性に自覚的なうちはまだ易しいですが、時にあまりに残酷でグロテスクな「強者の無垢な目線」が他者の尊厳を傷つけうるということも感じました。

東京生まれ東京育ちの若者が田舎に転勤になって死ぬほど辛い話 追記2 

お前が二度と東京に戻れませんように!! お前が二度と東京に戻れませんよ.. (※上記へのアンサー)

そういったときは静かな悲しみと不条理のようなものへの怒りを感じ、ときに怨嗟に身を任せたくなるような気持ちに共感する自分がいることに気づきました。

5. あちらとこちらの間に横たわるように思われるなにか①

2016年、国民投票でイギリスのEU離脱が決定した頃、そして同年米国大統領選挙でヒラリー氏の勝利を信じて疑わなかったリベラル層の予想と裏腹にトランプ大統領当選が決まった頃あたりから、世間でも盛んに「社会の分断」が言及されるようになり、私は、社会にどうしようもなく横たわる隔たりとそれをとりまく怨嗟・悲しみのようなものについて考えるようになりました。

日本でも2019年に、東京生まれ東京育ちの文部科学省大臣、萩生田大臣が生まれの格差に無頓着な発言「恵まれない者は格差を甘んじて受け入れろ」と取られかねない「身の丈」発言をし、大きな批判を受けました。

(英語民間試験の受験利用に関し、都会と地方、裕福な家庭と貧しい家庭で差が生まれてしまうのではないかという意見に対し)
「そういう議論もね、正直あります。ありますけれど、じゃあそれ言ったら、『あいつ予備校通っててずるいよな』というのと同じだと思うんですよね。だから、裕福な家庭の子が回数受けて、ウォーミングアップができるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど、そこは、自分の、あの、私は身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで、勝負してがんばってもらえば」
(※太字箇所は筆者強調)

萩生田大臣「身の丈」発言を聞いて「教育格差」の研究者が考えたこと
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68206

教育社会学者の松岡はこれを「『身の丈』発言の根底にあるのは、データが示す『社会全体の実態』と『個人の見聞に基づく実感』の乖離であると私は考えています」と冷静に批判しています。

松岡は、その著書の中で、生まれによる格差は現代日本特有のものではなく、国際的にも、時代的にも、どこにでもありふれたものである、と述べています。

例えば、韓国でも生まれによる格差は指摘されており、2015年には「金のさじ」という表現が若者新造語ランキングの1位になっています。

スプーン階級論 - Wikipedia

現在の韓国社会に広まる「親の職業や経済力によって人生が決定され、本人の努力では社会での階層が上昇することはない」という考え方を象徴する言葉である。

私はこの「個人の努力ですべてがうまくいくほど世の中は単純にできていない」というメッセージを、ぼんやりと、何度も、反芻しました。

 

地方と都会の当たり前の差に関する悶々とした気持ち、それを取り巻く怨嗟と悲しみに対するまとまらない考えは、ぐるぐると頭の中で渦巻き続けました。

そして、コップを溢れさせる最後の一滴になったのはこのブログでした。

この割れ切った世界の片隅で|鈴|note

高1の6月。EFチャレンジという動画スピーチコンテストで何故か決勝に勝ち進み、東京へ母と向かった。優勝したら夢のニューヨーク。中学入学時点で英検3級を持っていたことで周りからもてはやされていた私は自信満々だった。しかし会場に入ると、その自信は消え失せた。休み時間だというのに、皆なぜか英語で喋っている。何を話しているか全く分からない。端っこのほうで縮こまっていると、女の子が声をかけてきた。「どこに住んでいたことがあるの?」「長崎です」「いや、海外には?」「...無いです」「あ、そうなんだ~、わたしはアメリカに15年住んでいたよ!」髪をかきあげ、彼女はまた輪の中に戻っていった。結果は惨敗だった。発音の悪さから能力を見限られたのか、審査員からの質疑応答でも聞かれたのは"Why do you study English?"の1問だけだった。他のみんなは、夢を聞かれて「世界で一番輝いた女性になりたいです!」と言って一回転してスカートをふわっとさせ、歓声を浴びたりしていた。

帰りの飛行機で、母は静かに言った。「もう、これでわかったやろ。ここは、別世界の人の場所さ。うちみたいな普通の家じゃダメとよ。現実ばみらんね。上を見れば見るほど苦しくなるよ。」どう言い返すこともできなかった。髪をかきあげた女の子の名前をネットで調べた。「国連英検特A級保持。小学生のころから国連憲章を暗唱していました。将来は国連で働きたいです。」長崎空港にはいつもの「でんでらりゅうば」が流れていた。

 

私は、ゆっくり、少しずつ、これをきちんと理解したい、向き合いたいと思うようになりました。
自分の感じていた怨嗟や悲しみはもしかしたら世界のあちらこちらで起こっているのかもしれない。それを社会の不条理と呼ぶのか格差と呼ぶのかわからないけれど、理解し、癒やすすべを身につけたい。

トランプ前大統領が選ばれたときも、ブリグジットが決まったときも、私はなぜそんな愚かな選択をしてしまったのかと、あまりに傲慢なことを思っていたけれど、いつの間にか気づかないうちに私は強者の側の目線に立っていて、私が理解できないと思った彼らは、実は怨嗟や悲しみとともにずっと生きてきていた、私がもともといたはずの場所に今も立っている人なのかもしれないと思うようになりました。

これを癒やすために、個人の苦しみと社会の不条理を癒やすために私にできることがあるのであれば、その方法を知りたいと思うようになりました。

6. あちらとこちらの間に横たわるように思われるなにか②

私は今回の留学前に受講していたPre-master Program(準修士プログラム)で「地方と都会の差」をテーマに卒業論文を書きました。*8

そして調べていくうちに学んだのは、私の経験したことは別に特別なものではなく、世界中で見られるありふれた現象のひとつらしいということでした。教育社会学の領域では、ブルデューが、苅谷が、松岡が、環境によって作られる当たり前と、社会階層の再生産を語っており、どの社会でも見られるありふれたストーリーであることを示しています。

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教育格差の趨勢 ―出身地域・出身階層と最終学歴の関連 ―(松岡2015)より*9

※関心を持たれた方は本記事の末に参考資料を記載していますのでよければご覧ください。

 

また、自分が感じた隔たりや悲しみは、必ずしも地方と都会という居住地の差だけによってもたらされているわけではないということも知りました。

例えば、東京大学上野千鶴子先生は東大の入学式の祝辞で、男女の間に横たわる大きな隔たりに触れながら、恵まれた立場の者がそれを自覚しないまま様々な格差を再生産してしまうことを述べています。*10

男と女のかもしれない。障害者と健常者のかもしれない。正規雇用者と非正規雇用者のかもしれない。年齢によるかもしれない。世の中には様々な形で隔たりがあり、それぞれにありふれた悲しみのエピソードや葛藤があることを知りました。

そして、なかでも教育の文脈でとりわけ大きな格差の要因となるのが親の社会経済地位による差*11であると知りました。

7. でんでらりゅうとブルデュー

教育社会学の領域では社会格差再生産の問題が主要トピックの一つになっています。例えば、大学の進学率だけでも、父親が大卒の場合子の80%が大卒になる一方、父親が大卒でない場合子が大卒となる割合は35%にとどまります。
よく知られるように大卒者と高卒者では生涯賃金に6千万円ほどの差があります。*12

私の研究のテーマの一つは「社会階層というマクロの要素が、実際のミクロレベルではどういうプロセスを経て個人の人生に影響を及ぼすのか。特に、個人の動機形成にどのような影響を及ぼすのか」というものです。

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仮説整理用の下書き概念図。赤丸部分の機序を知りたい、というのがざっくり私の関心。

格差には様々な形があると思いますが、私がなんてイノセントで残酷なのだろうと思うのは「やりたいのにやれない」という状態や葛藤に自覚的な状態よりさらに手前の「やりたいとすら思えない、思わない」という状態、葛藤することすら無い状態の格差です。

「この割れきった世界」を読み返し、まさにそれを象徴するような一文に気づいたとき、ぬるっとした冷たい何かに臓物を掴まれたような感覚になりました。

髪をかきあげた女の子の名前をネットで調べた。「国連英検特A級保持。小学生のころから国連憲章を暗唱していました。将来は国連で働きたいです。」長崎空港にはいつもの「でんでらりゅうば」が流れていた。

でんでらりゅう - Wikipedia

(歌詞)
でんでらりゅうば でてくるばってん
でんでられんけん でーてこんけん
こんこられんけん こられられんけん
こーんこん

(共通語訳)
出て行けるものであれば、そちらに出かけて行くけれど
出られないので、行けないので
そちらに行けないので、行けないので
そちらには行きません、行きません

8. 実践と思想の間(はざま)で

ここまで、自分を後押しし「あちら側」へ連れて行ってくれる蜜のように魅力的な教育的"機会"と、一方で社会に横たわる隔たりと悲しみについて、そして、教育というものの、隔たり(格差)を再生産してしまう装置としての性質について触れ、私の問題意識のきっかけと、教育社会学領域で学んだことについて書きました。

私のもともとの出発点は「何か目に見えない差があるように思える。それを乗り越える方法を知りたい」というものだったのに対し、残念ながら教育は格差を再生産する場合があることを知り、私は、この状況はもしかすると社会の構造そのものに影響している部分もあるのかもしれないとも思うようになりました。

地方と都会の差について卒論を書いている間、分断と絶望と「そうならざるを得なかった個人」の物語としての映画「ジョーカー」の台詞が何度も頭の中をリフレインしました。

「俺が歩道で死にかけても踏みつけて歩くくせに。俺は毎日あんたたちとすれ違ってる。でも誰も俺に気づかない」

「狂ってるのは僕なのか?それとも世の中なのか?」

白熱教室でも有名なマイケル・サンデルは「メリトクラシーと社会正義」という文脈で、この分断と悲しみの連鎖を扱っています。

エリートは自らの偏見を恥と思っていない。彼らは人種差別や性差別を非難するかもしれないが、低学歴者に対する否定的態度については非を認めようとしない。

リベラルへの痛烈批判「実力も運のうち 能力主義は正義か?」 – suadd blog
(※筆者注:引用箇所はブログ内のサンデル著「実力も運のうち」部分の孫引き)

資本主義の発展を支えて来たのは競争原理と能力主義であるとしつつ、それによって同時に階層意識が生まれている点、これはメリトクラシーが抱える構造的な問題であって、より理想状態に近いメリトクラシー社会が実現したとしても、競争原理に基づく以上、その問題は解消しない可能性が高いことを考察しています。

地方と都会の格差を意識するようになった時、私は当初「もっと地方にも選択肢を!」と考えました。「もっと機会ある都会のように!」「もっと恵まれた彼らのように!」と。
しかし、サンデル氏の視点に触れた時、「競争の中で勝てるようにしてほしい」という欲求は「敗者を誰か別の人に押し付けたい」という欲求の言い換えに過ぎないかもしれないと考えるようになりました。完全なイコールではないだろうが、どうしても含まれうる要素なのではないか、と。

サンデルは、分断の中でも心情的な分断や他者を侮る状況にフォーカスして「共通善」というアプローチを提唱しています。
しかし、共通善では人の心は癒やされるかもしれませんが経済的な格差とそれに紐づく個人の物質的豊かさの格差の解消に直結するわけではないだろうと考えます。

仮にすべての人が大学に行けたらこの溝は解消するのか?いや、新たな競争のものさしで区別され、経済的な差が生まれ、見えない怨嗟と悲しみは残るだろう。

「地方と都会の差」という素朴な問題意識からスタートした私の関心は現在、競争とメリトクラシー社会がもたらす利益を理解しつつ、よりよい社会の形を築くために教育はどうあれるのかという、思想論的な疑問に寄り道しつつあり、まだ着地点を見つけられずにいます。

世の中はどうなるとよいのだろうか。自分は、どうなってほしいと思っているのか。私はそれにどう関われるのか。

私は、それを見いだせるようになりたいのです。

9. おわりに

この教育格差のトピックを受験体験記のvol2としたのは、修士課程で教育社会学を学ぶ私の関心の根底であったからと同時に、今後留学を考えていらっしゃる方の目にとまればと考えたためです。

グローバル化が叫ばれる中で、別に海外に一度も行かずに一生を過ごす人は少なくありません。親族に大学進学者が一人もいないという人だって特別ではないでしょう。

留学が具体的な選択肢の一つになる人はかなり恵まれた側にいるのではないかと思っています。憧れはするものの、私の高校生時代、海外留学に行きたいと考えることは宇宙旅行に行きたいというのと同程度の夢想でしかありませんでした。

もし今後留学を具体的に予定している方がいらっしゃればどうか少しだけこの隔たりのようなものに目をやってほしい、そうでない人の人生に、少しだけ思いを馳せてほしいと思ったのです。*13

 

私の留学の目的の一つは学問的な知見を深め、この分断や悲しみを癒やすことに少しでも貢献したいというものです。「行きたいけど行けない」「行きたいと思うことすらない」という気持ちの葛藤が比較的フレッシュなうちに文章にして留めておきたいと思いこの記事を書きました。

ずっと悶々としてきたこの葛藤について世に発することは、悶々としながら留学までこぎつけた私が果たすべき役割なのではないかと思ってきました。

 

残念ながら、どうやらこういった隔たりというのは存在するらしい。理不尽かもしれないし、不条理かもしれないが、誰かが悪意を持って作ったわけではなく、仕組みとしてどうしても生まれてしまうのだ。それを静かに認め、しかし決して甘んじはせず。それぞれの立場でより良くあり、他者を尊重し、そして、なんとかこの社会というものを良くしようともがく営みを積み重ねるだけなのだ。

そんなことを思いながら、今も葛藤について考え続けています。

 

 

The theme music of this post:Sai no Kawara by crystal-z

 

付録:市区町村別人口ランキング表

前述の通り、都会さ田舎さだけが格差の源泉だとは今は思いませんが、それでも隔たりの一つであるとも感じているので「地方と都会」というものさしの中で自分がどのような位置にいるのかを知ってほしいと考え、付録として市区町村の人口ランキング表を付しました。よければページ内検索(ctrl+F)で自分の住んでいる市区町村を探し、自分の住む場所が日本のどのあたりに位置するのか見てみてください。

 

参考資料(記事内でURL明示したもの除く)

■書籍
ブルデューディスタンクシオン

→社会階層論の原典にして聖典。通読は大変なのでNHKオンデマンドの「100分de名著」か、その解説書「ブルデューディスタンクシオン』 2020年12月 (NHK100分de名著) 」または石井洋二郎ブルデューディスタンクシオン』講義」がおすすめ
苅谷剛彦「階層化日本と教育危機 不平等再生産から意欲格差社会へ」
→私のバイブルの一つ。意欲格差を「モチベーション格差」とせず「インセンティブディバイド」としたところに慧眼があると感じました。内発的動機の差はそれをとりまく周囲の動機づけ要因(インセンティブ)の差であるとする立場にとても納得感を感じます
・松岡亮二「教育格差」
→バイブルその2。「おわりに」で書かれた松岡先生の"口上"(ご本人がそのように表現していらっしゃる)がとても好きです。私がこのブログを書かねばと思ったのは、松岡先生がおっしゃるところの「学術的雪かき」の意識に共鳴したからという点があります
・松岡亮二「教育格差の趨勢―出身地域・出身階層と最終学歴の関連―」 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/2015SSM-PJ/04_11.pdf
→社会階層研究で最も大規模な研究であるSSM調査(社会階層と社会移動全国調査)における、松岡先生の論文です。これだけでもかなり教育格差の状況が網羅されて示されています
・Sewell. W. H., Orenstein. A. M., (1965) ‘Community of Residence and Occupational Choice’. American Journal of Sociology 70(5), pp. 551–563
→私の卒論の研究骨子になった論文の一つです。古い研究ですが、充分に大きなサンプルサイズで、社会階層、居住地域、性別、知能、職業選択の関係を考察しています

 

■ブログ等

教育格差について
日本人が「教育格差すら許容している」衝撃事実 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース
教育格差、半数は「感じない」: 18歳意識調査 | nippon.com

「三塁生まれ」の原典に関連する記述等
"裕福な家に生まれたのに自分の地位は自分の努力によるものだと思ってる人"のことを『三塁で生まれた人』と指すらしい - Togetter
 CNN:Dad says, 'I don't miss politics' But that may be because he's got something better: a family legacy to watch over
C-SPAN:User Clip: Hightower-Born on third base Quote: "He is a man who was born on third base and thinks he hit a triple."
wikiquote:Barry Switzer

メリトクラシーについて
「共通善」で問題が解決できるなら苦労はしないよ(読書メモ:『実力も運のうち』①) - 道徳的動物日記
マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』 - 紙屋研究所
清く正しく小賢しく:10分でわかる日本のメリトクラシー(≒学歴社会)研究史
ベネッセ教育総合研究所:2.学力とメリトクラシー:地位の配分と社会統合

*1:もしかするとこの文章を読んで嫌な気持ちになる私の知人・友人がいるかもしれません。私自身の差別意識や傲り、または逆に、人や世を呪うような気持ちが表れているのではないかと思うためです。でも、どうしてもそれに触れずに書くことができませんでした。このトピックについて、私は書かなければならないと強く感じ、書くことが未来の誰かの救いになるはずだと信じて書きました。申し訳ありません。

*2:この「人口7000人」というのは当時の累積人口ベースでおおよそ日本の下位4%に位置する町になります。同時に、この位置に位置付けられる市区町村は市区町村数ベースで3分の1以上あります。(別の言い方をすると「人口の96%は全体の3分の2の市区町村に集中して住んでいる」という言い方ができます。)さらに言うと、当時、人口の50%は全体の5%の市区町村に集中して住んでいた、ということも分かります。
詳しくは文末の付録スプレッドシートをご覧ください。

*3:今思えば子供の私が気づいていなかっただけで海外バックグラウンドの同級生がクラスの中にもいたのかもしれません。また、地域のお兄さんお姉さん、おっちゃんおばちゃんの中に外国の方や海外ルーツの方もいたのかもしれません。しかし私は一切それに気づいていませんでした。

*4:厳密には小中学校のALT(外国語指導助手)の先生がいらして、今思えばあれは地方の子どもたちにとってものすごく重要な経験だったと思うのですが、それでも私は、言葉がうまく通じず、話す内容も言語学習に関することが主である彼ら先生のことを、自分のとりうる人生のひとつと思うことはありませんでした。これはALTの先生に限らず、幼少期の私が先生全般を、「なりうる未来の選択肢」と意識せず、「先生」という特別な生き物として認識していたところがあったのかもしれません。

*5:余談ですが、この勇気の差のようなものについて考察する中で私は「グロスのモチベーション(総モチベーション)とネットのモチベーション(正味のモチベーション)」という仮説を得ました。『挑戦とは「もとのモチベーション」から「失敗への恐れや不安」を引いた「正味のモチベーション」から生まれるのではないか』というものです。私にとって大きく見える挑戦をいくつも成し遂げているような人たちは、この「失敗への恐れや不安」が小さいのではないかという仮説を持っています。

*6:大人になって思うのは、彼らには彼らの苦悩があり、怨嗟があり、必ずしも当時私が思っていたようなきらきらした面ばかりではないよなと当たり前のことに気づきましたが、それでも、当時はそう思うことができませんでした。

*7:数年後、この参照基準がどうやら「準拠集団」と呼ばれる概念であるらしいと知りました。

*8:都会と地方論(田舎論)を語る時、残念ながら「地方」 という言葉にはあまりに幅があります。人口10万人を超え電車が一時間に複数本来る「地方」もあれば、人口1000人に満たず、人生で一度もコンビニを利用したことがないという「地方」もあるでしょう。また、「都会」とくくっているものが実は東京の特殊性だったりして(さらにスコープを絞ると23区の特殊性だったりして)、地方論ではなく東京の特殊論と考えたほうが適切だったりするものもあると思います。私の住んでいた地域も決して地方性一般を代表するものではありません。少しだけ地方論の解像度を上げるために、この記事の末尾に市区町村の人口ランキング表を記載しました。よろしければご自身の出身地、居住地がどこに位置されるのか見てみてください。

*9:大学進学率ではなく社会全体における大卒者割合を示している。また短大卒業者は別で集計している。詳細は右記参照のことhttp://www.l.u-tokyo.ac.jp/2015SSM-PJ/04_11.pdf

*10:平成31年度東京大学学部入学式 祝辞 | 東京大学

*11:詳しくはぜひ松岡亮二著「教育格差」を読んでいただきたいですが、ざっくり概要を掴むだけであればこちらの記事を読むだけでも一端が知れるかと思います。ぜひご一読ください。

*12:独立行政法人労働政策研究・研修機構 ユースフル労働統計2020 ―労働統計加工指標集― https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/kako/2020/index.html

*13:冒頭にも書きましたが、もしかするとこの文章を読んで嫌な気持ちになった私の知人・友人がいるかもしれません。
私がそう考える理由は、私がこの文章を書くこと、世の中に誰でも読める形で発信すること自体が、運良く留学を実現できた私の傲りと、葛藤の中で感じてきた私の差別意識を現しているのではないかと考えるためです。
三塁生まれを呪うような気持ちを持つ私自身も、ある面で見れば充分に三塁生まれだと自覚しているからです。

私が高校生だった頃、「海外経験が交換留学程度しかない私でも」と卑下を口にする国際公務員は、海外に旅行に行ったことすらない私からしたら憧れの対象であると同時に、そんなにも恵まれたお前が何を言う、という怨嗟の対象でもありました。私が過去に、心のなかで「お前なんかが弱さを語るな」と思ってきたからこそ、誰かが私に「お前が言うな!」と呪わしく思うことも容易に想像できます。
また、エピソードで触れた知人たちにとっても、決して気持ちの良い書かれ方ではなかったと思います。この文章を自分の知り合いが、彼が、彼女が、あの人が読んだらどのように感じるだろうと何度も何度も考えたのですが、どうしても自分の中にある考えをまっすぐ伝えようと思うとこれ以上になりませんでした。

おそらく、この文章を記すことは、自分の傲りと怨嗟の両方を晒すことになっているのではないかと思います。
しかし、自分がここに見えない隔たりがあると考えていると伝えることは、私のある種の使命なのではないかと、受験期間中、ずっと思ってきました。私と似たような葛藤を持つ未来の誰かがなにかを呪うような気持ちになる前に、私が感じ、考え、学んできたことを発信することが、きっと誰かの癒やしにつながるのではないかと信じ、ものを書きました。
どこまで書いても自分の傲りと怨嗟を晒すことの言い訳にしかなりません。
もしこの文章を読んで嫌な気持ちになる私の知人・友人がいたら、謝ることしかできません。申し訳ありません。