深く潜る練習

佐藤公彦のblog

捨てるには惜しい台詞たち(2022年版)

たまにケレン味の利いた言い回しが脈絡もなく降ってくる。だいたいの場合、彼らを使ってやる先は無く、死蔵される。

この1年で降ってきた中で気に入ったものをここに書き流す。インターネットの海を漂い、誰かの心に辿り着いたのなら幸甚至極。

 

2022/1

「自分の中にあるものだけで勝負できるのは、それはもう天才なんよ。天才の仕事なんよ。天才でない自分は自分の中にないものを、自分の外側にあるものを必死にかき集めて出すんよ。でもそれは、自分の中にあった訳ではないからどうしても浮(うわ)ついてるんよ。」

「......でも、だから、それでも。だからそれでも、それをやるしか無いのよ。それをやることででしか、自分の中身が入れ替わることは無いのよ。カスみたいな自分の中身を、ゴミみたいに吐き出しながら、自分の中身をつくっていくしか、それしか、ないんよ。」

 

2022/1

『自分のことばっか考えてねぇでもっと世界のこと考えろや!』と『世界のことばっか考えてねぇでもっと自分のこと考えろや!』が交互に来る。

 

2022/2

「よかった。狂気が間に合った。僕の狂気が間に合ってくれた」

 

2022/2

「能力と運が無いのはいい。
でも、意志と勇気がないのはだめだ。
そこはこだわり続けなきゃいけない」

 

2022/2

「あなたが駆け足で登ろうとしているその梯子は存外一歩一歩味わいながら登ってあまりあるものだよ。」

 

2022/2

『賭け金がでかければでかいほど、ゲームは楽しいだろ』

 

2022/4

『自己否定に酔いながら生きてる』

 

2022/05

「命の捨てどころをずっと探している」

 

2022/05

「"かっこいい大人のように振る舞う"はそれなりに容易だが、"振る舞いがかっこいい大人である"は残念ながら容易ではない。」

 

2022/05

「"時間というのは結構すげぇエネルギーを持っている"というのが俺の考えだ。だから時間の蓄積であるところの年齢というのはなかなか馬鹿にできない。」

 

2022/05

「海に潜って貝をとってくるように、自分の中から思考を拾ってくる」

 

2022/05

「『自分が自分につく嘘に気づけるようになる』というのが、大人になるということの一つなのかもしれないね。」

 

2022/05

「社会というものが人の手によってコントロールできなくなって久しい。」「......そもそも社会というものが誕生したときから今まで、人の手によってコントロールできていた時期など無いのかもしれないが」

 

2022/6

「そうか、そこに辿り着くには時間がかかるのか。」

「辿り着きてぇなぁ」

 

2022/7

俺は今「自分は天才だ!」と思いこむ病気にかかっています。
ご安心ください。定期的になるやつです。
しばらくしたら「俺はくそofくそだ!」という時期が訪れます。
そんなもんです。

 

2021/7

「弱者である権利さえも、私たちから奪わないでくれ」
「怨嗟の世界があるということを知ってくれ、もしできればたまに思い出してくれ」
「どうか、お願いですので、怒る権利を俺から奪わないでください。どうか、世の中を憎む権利すらも、私から奪わないでください。お願いします」