深く潜る練習

佐藤公彦のblog

自分の一部を贈るということ

春は出会いと別れの季節だ。
卒業していく人を見送ったり新しい仲間を迎えたりと自分の人生の変化のきっかけも多い。


以前、このような文章を日記に書いた。

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大切なものが「消えてなくなる」ということがある。
自分を作っている経験がなんなのか、思い出せなくなる時が。
正確には経験が自分の中に「溶けてなくなる」時が。
すべてのことが自分を作っている。小さなことも大きな出来事も、出来事ですらないことも、すべてが。
子供の頃の先生が自分に与えた影響など、今は忘れてしまった。深く深く自分の中に染みこんでいって不可分になって、自分自身になっている。
普段は自分が初めて海外に出た時のことなど忘れている。Y先生やF先生やKのことなど忘れている。
みんな、たぶん僕の中に溶けている。

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大切な人との出会いは自分の一部になっている。
大切な人との別れは自分の一部が欠落しけたような気持ちになるが、
その人の一部が自分の中に溶けて残り続けているのを感じると嬉しくも思う。

そういえば彼はこういう癖があったな、
こんなことを言うといつも彼は怒ったっけなと。

 

「別れる男に、花の名を一つ教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。」といったのは川端康成か。
別れた後に苦い思いを思い返させる種を埋め込むのは一種の呪いのようにも思えるが、
好いた人の中に自分の一部を残していくというやり方は、少しいじらしい意趣返しだとも思う。

 


私は大切な人の旅立ちには自分の一部を贈ることにしている。

自分が深く影響された小説。花を飾るという習慣をプレゼントする意味での花瓶。自分の根幹を作っていると感じる文章。
いずれも、自分を構成する一部であって、いつか相手の一部になって人生を素晴らしいものにする一助になってくれればと思う私の構成要素だ。

贈った一部が相手に溶けていって、その後の人生を少しだけでも後押しできたなら嬉しいと思う。

先日、私の尊敬する後輩が新しい門出を迎えられた。
春になって旅立つ彼に私が好きなこの文章を贈りたい。

As I Am. | やりたいことが仕事にならなかったら?「もう懐かしむのは、やめにします。」
http://value-design.net/wordpress/?p=7064

 

 

彼の行く先に幸多からんことを祈って。

 

The theme music of this post:Dirty Paws by Of Monsters and Men